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現代美術三人展

現代美術三人展/ネオ・アートシリーズ姫路から世界へ

氏平源吾氏、山本雅也氏、久我くるみさんの三人展

「具体」美術で知られております、小野田 實氏からご指導を受けられ、様々な素材や制作方法で

表現されている皆様の作品展です。

 

ネオ・アート協会について

ネオ・アート協会は、昭和47年吉原治郎氏の死による具体美術協会の解散後、姫路に在住する元会員・小野田實氏が昭和49年12月具体美術協会の火を姫路の地で引き継ぐ決意で創立したものである。会員は小野田實氏の元で育ったメンバーで構成し、そのコンセプトは、創造行為は人真似や借り物ではなく、その人独自の表現で常に新しいものでなくてはならないとした。人が今まで作ったことが無いものを作れ。理屈は後で考えればよいという言葉が印象に残っている。また小野田氏は、直接はロでは言わなかったが、メンバーの作品に共通していることは、隅々まで神経が届きスマートで仕上がりが美しいということではないか。

会の命名の時、小野田氏から会員にどうするか、2案が示された。1つは「新感覚アート」 もう一つは現在の「ネオ・アート」。「新感覚」という表現は、文学の世界で既に使われており、目新しさがないので、「ネオ・アート」に決めたという経緯がある。やはり今思って見てもネオ・アートの方がパンチが効いていて、会の中身をうまく直載的に表現していると思う。「ネオ・アート」はいつまでたっても新しい。

表現方法や材料は自由。個々のメンバーの自主的な作品活動を奨励し、いつでも要請があれば、時と場を固定せず、伸縮自在にゲリラ的に展覧会を開催してきた。

門下生は、最初は絵画教室で習っていただけであったが、それだけでは間に合わず、家で四六時中アイデアを考え、エスキースや試作品を先生に見てもらって指導を仰ぐことが多くなってきた。

小野田先生の指導法は、一人ひとりの良さを認め引き出し、それを最大限延ばす指導法にあった。当然のことながら決して自分流の作品に仕向けることはなく、すべての作品を受け容れ、それぞれに合った指導をする度量の大きさがあった。その甲斐あって、門下生の中から、各地の公募展に入選、入賞する者が多数出てきた。小野田氏の指導法が功を奏したのである。そのことによって、門下生の小野田先生に対する信頼は、ますます昂まって行った。先生自身も、密かにほくそ笑んでいたのではなかろうか。

昭和49年第1回展を神戸白山画廊で開催した。翌々年4会場同時使用による第2回展を姫路で、併せて元永定正、泉茂、小野田實をパネラーに現代美術シンポジウムを開催した。以後何回となくゲリラ的に展覧会を開催してきた。ある時は、洋品店の店内の壁面に展示したこともある。

後に吉村益信の提唱したアーティスト・ユニオンの運動に呼応し、アーティスト・ユニオンの結成参加、会の活動をユニオンの活動の中に投入した時期を経た。アーティスト・ユニオンの展覧会は、毎年1月、東京都美術館で開催され、グループで作品を車に積んで搬出入した。法華クラブを定宿とし、雪の高速道路を東京まで苦労しながら運んだことが今となっては懐かしい。

ネオ・アートの活動では、神戸、大阪、姫路等で不定期的に、今まで計10回展覧会を開催してきた。展覧会には酒がつきもので、会場で夜遅くまで語り明かしたことが懐かしい。

会員はそれぞれ職を持ちながらでの活動であったので、各人多忙を極めた。クリスマスには、毎年先生の自宅で持ち寄りによるパーティーを開いた。若い女性が多かったので賑やかなことこの上なかった。男性は劣勢であったが、もう少し男性が多かったら展開も違っていたかも知れない。

長い活動の間には、志半ばで亡くなった人、いい線まで来ているのに途中で止めてしまった人、また他の団体に移った人等、幾多の消長を経て今日に至っている。

このような中、平成20年7月小野田實氏が死去し、以後長い間、ネオ・アート協会は 休眠状態にあるが、その精神は些かも揺らぐことなく、今日まで脈々と生き続け、中核をなす何人かは懸命に制作に励んでいる。今回小野田先生から強い薫陶を受けメンバー3人が、小品展を開催することになった。これを機に、ネオ・アートとしての活動が再開出来ればと考えている。

この度の、ネオ・アートシリーズ展開催に際して、ネオ・アート協会の来歴について最古参のメンバーの1人として、思いつくまま記してみた。

平成30年1月25日

ネオアート協会会員 氏平 源吾

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開始:
2018.2/1/ 1:00 PM
終了:
2018.2/22/ 7:00 PM