2019年4月18日 お知らせ
🔶長野久人氏のアートについて
【長野久人】
長野は易、四柱推命、気学、風水といった東洋思想の基礎となる陰陽五行思想に基づいて作品を作るという。例えば多くの作品を彩る黄色は大地を表し、大地は生命の育むものとして存在し云々と、自然と宇宙の存在に連なるものことを示唆している。したがって作品はどれも寓意的である。
彼は自然の造形物を極限までリアルに造る。果実を、昆虫を、人間(乳児)を造る。しかし同時に、それらを巨大化し縮小し、変形し、歪ませ、着色し、デフォルメする。そしてそうして造られた造形物に機能を持たせる。それは普通に皿やカップなどの食器にとどまらない。驚くべきことに冷蔵庫や洗濯機、掃除機、照明器具、暖炉にもなる。そしてどれもが実際に稼動するのだ。その造形物に敢えて名称を付けてみよう。「受精卵型食皿」「胎児型洗濯機」「乳児型掃除機」「幼児型ランプ」……。日常品が変形し、アートを身にまとい歪んでゆく。その驚くべき風景。時として愉快で、愛らしく、時としておぞましく、醜くもなるのだ。愛玩と恐怖の混在。非日常の現実世界が展開する。
長野は東洋思想に制作の基盤を置いているのに、僕は長野の造形に近似するものを東洋に知らない。敢えて挙げるなら西洋のシュールレアリスムの思想から誕生した作品に近いということに、異論を唱える人もまた少ないのではないだろうか。
【シュールレアリスム】シュールレアリスムというと、美術愛好家ならすぐにダリとかキリコとかマグリット、デュシャンなどの画家を思い浮かべる人、または「超現実主義」や「形而上絵画」といった言葉を思い浮かべる人がいるはずだ。でも僕はこの「超現実主義」という日本語訳にいつも違和感を抱いている。というのは、どんな芸術であれ現実を超えようとしない芸術などあるはずが無いから。「超現実主義」という言葉は全ての芸術に当てはまるのだから、シュールレアリスムの特徴を表すのに「超現実」という言葉はふさわしくないと思う。
僕は個人的にはシュールレアリスムの日本語訳は「歪現実主義」がいいと思っている。シュールレアリストは現実を超越しようとは思っていないし、また現実を破壊することも、現実とは無関係の全く新しい芸術を創造しようともしていない。彼等は現実を歪ませて、現実とはほんの少しだけずれたところに非現実的な、不思議な、不条理な世界を見ようとしている。彼等は「白日夢」を創造しているのだ。
彼等は現実の事物をありのままに描く。しかし、事物と事物を現実にはありえない組合せとか、衝突とか対比をもって描く。また、現実の事物を変形したり、歪ませたり、溶解したり、デフォルメしたりして、現実にはありえない世界を創造していく。同時に決して現実の世界を破壊はしない。あくまで現実世界から夢を見るのだ。彼らの夢は「希望」などではない。「美しき夢」でもない。彼らの夢は「悪夢」。不条理で、不可思議で、形而上的で、おぞましい。シュールな風景とはそのようなものなのだ。
こうして長野の世界と、シュールの世界が同期していく。
ギャラリーランズエンド 坂本 直義